犬の虐待は善意からもおこる。もしかしたら、あなたも加害者かもしれない。無知が犬を苦しめる。

犬の虐待は善意からもおこる。もしかしたら、あなたも加害者かもしれない。無知が犬を苦しめる。




虐待は善意からもおこる

多くの人は理論に先んじて倫理があります。下手すると理論抜きに倫理感だけで犬と接している人も少なくありません。
犬に優しくありたい、愛犬を幸せにしたい。そう思うことは良いこと。でも、あなたが良いと思っても犬が良いと思うかどうかは別であることを知らなければなりません。

犬がプレッシャーを感じているのにアイコンタクトをとろうとする、安心していいよといっぱい声をかける。これは善意から行われます。優しさからの行動なんです。でも、犬にとっては向けられた視線が怖い場合があります。声をかけて欲しく無い時もあるんです。
行動学では能動行動と受動行動と言いますが、慣れない環境に置かれた犬に必要なのは自発的な能動行動をとる機会を多く与えてあげることです。優しく笑いかけてあげる、優しく声をかけてあげるは、どんなに優しくてもそれは犬にとっては受け身なんです。受動行動が増えるのは、能動行動が充分に増えてからです。
犬の幸せは散歩だと言って、悲鳴をあげてウンチを漏らすまで引き摺り回す人もいます。これもその人の優しさから出る行動です。早く散歩という喜びを与えてあげたいという優しさです。でも、それはその人が考える喜びであって、当事者の犬の気持ちとは関係無いところで話が進んじゃうんです。
そんな優しさの押し付けを嫌というほど見てきました。

結局、犬の一生は誰と出会うかで決まっちゃうんです。
その人が「これがいい」って決めたら、犬にはそれを拒否する権利は無いんです。
だから犬を知らなきゃダメなんです!
特に、犬に対して愛情のある人ほど思い込みは強いです。それは違うと言っても聞いてくれません。そして、自分の気持ちに同調してくれる相手を見つけて納得しようとします。
まず勉強しましょう。それも、倫理観のない無感情な状態で勉強するんです。
倫理を乗せるのはその後です。

どんなに行動様式が似ていても、犬と人は別の生き物。心の感じ方も人間とは違います。
赤ちゃんと同じような行動をとったからといって、犬は人間の赤ちゃんでは無いということです。
例えば、緊張すると鼻を掻く人がいたとしましょう。その人は緊張したら鼻を掻くけど、鼻を掻いたからその人は緊張していると決めることはできないということです。
犬がどう感じているかは、犬という生き物を知ることから始まります。
それが動物行動学です。
また、行動分析学の発達は感情を可視化しました。自発行動の増減はどういうプロセスを辿って起こるのか。それがわかれば、犬の苦痛を最大限取り除いてあげることが可能です。

犬に自由を与えるためにノーリードの方がいいのか?犬を守るためにオンリードで短く持った方がいいのか?避妊去勢は犬のためか?延命治療は必要か?尊厳死を選ぶ?食事はローフード?それともマクロビがいい?サークルは必要?不必要?
犬が選べることなんて数少ない。犬の一生における無数の選択のほぼ全てが人間によって決められます。
その犬が出会った人がどんな倫理観の持ち主なのか。それで犬の一生は決まります。

僕には僕の倫理観があります。僕の考える犬の幸せ像を僕も持っています。
でもこれは僕の倫理観であって、みなさんと共有すべき価値観ではありません。
ほとんどの人はそこを勘違いしています。だから「トレーナージプシー」なんて言って、いろんなドッグトレーナーのしつけ教室に通ったり、共感できるトレーナーを見つけては傾倒したりします。
何に共感するのか?トレーナーの倫理観に共感するんですよ。理論に共感しているわけではありません。だって本質的な理論は誰が言っても同じですから。

倫理観は皆さんがそれぞれで探し見つけていってください。
ただし、どんな倫理観を持とうとも、全ての犬に共通する理論を学ばないという選択肢はありえません。

人間の優しさのもとに苦痛を強いられる犬がいなくなることを切に願います。

エルフドッグスクールでは、犬の行動学及び行動分析学を学ぶ塾を開講しています。
https://elfdogschool6.wixsite.com/-site-2

皆さんが学ぶことで、日本からドッグトレーナーという仕事が不必要になることを、ドッグトレーナーとして望んでいます。