文学として愛犬と【愛犬の問題行動専門ドッグトレーナー】エルフドッグスクール東京 練馬 中野 杉並 新宿 世田谷 港区 中央区

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん どこかで聞いたことのあるフレーズ。 そう。国語の教科書にのっていた詩人・中原中也の「サーカス」のなかの一節です。 中原中也は自らをダダイストと呼び、既存の表現方法にはない新しい表現を探していました。 この「ゆあーんゆよーんゆやゆよん」は、サーカスの空中ブランコがゆれるオノマトペですが、普通ならブラブラとかユラユラという表現を用いますよね。でも「ゆあーんゆよーんゆやゆよん」と表現されているブランコのゆれを想像すると、ブラブラやユラユラよりも、大きくゆっくりと、そしてどこか暗い狂気じみた印象をうけます。いや、のほほんとしていて緩やかな優しいイメージだという人もいるでしょう。 何が正しいかは置いといて、「これは○○だ」「私の気持ちは□□だ」と言葉にしなくとも、それ以外の情報から人は何かしらの印象を受けることができます。 中也は【名辞以前】として、言葉になる前の言葉、例えば、悲しいと言葉にする前の悲しさ、不安と言葉にする前の不安、孤独と言葉にする前の孤独というように、すでにある既存の表現を用いずに物事や心情を表現しようとしました。 それはある種のノンバーバルコミュニケーション(言語以外のコミュニケーション)であり、まさに、人と動物とのコミュニケーションであるとは考えられないでしょうか? 我々人間が使う既存の表現方法を、彼ら動物たちは使いません。彼らの表現をどう受けとるかは我々の判断であり、それが正しいか間違っているかは、当事者である彼らに聞いてみないとわかりません。 ドッグトレーニングを文学として考えた時、それはとても非合理的ではありますが、非合理的だからこそ相手を考え続ける余白になるのではないでしょうか? なんでも「言葉にしてくれなきゃわからないよ」というのは、もしかしたら受け取り側の怠慢なのかもしれません。 まだスマホのような連絡ツールがなかった頃、駅で恋人を待つ青年は何を思っていたでしょう? もしかして場所を間違えちゃったかな?事故にあってないかな?嫌われちゃったのかな? いろんなことを考えながら、相手の心を想像したはずです。 名辞以前の動物たちの表現をどう読み取るか。 彼らとのコミュニケーションを文学することで、彼らに思いをめぐらせ、悩んだり迷ったり、時には自分を責めることもあるかもしれません。ですがそれもまた、彼らと共に生活をする楽しさではないでしょうか? 難解な純文学の文庫本を読み込んでいくように。 【お問い合わせ】 mail: elfdogschool@gmail.com TEL: 09098460815 LINE ID: elfdogschool #ワンコok #犬ok #犬好き #ワンコとお出かけ #犬好きさんと繋がりたい #柴犬 #豆柴 #黒柴 #トイプードル #ミニチュアダックス #ヨークシャーテリア #ゴールデンレトリーバー #チワワ #パピヨン #ボストンテリア #ポメラニアン #マルチーズ #ウェルシュコーギー #ミニチュアピンシャー #ミニチュアシュナウザー #ジャックラッセルテリア #ラブラドールレトリバー #フラットコーテッドレトリーバー 東京都・練馬区・杉並区・中野区・新宿区・千代田区・中央区・文京区・港区