「全てのケアは犬の同意を求めてから行うべき」
あるトリミングサロンの言葉です。
この理念は素晴らしい!私も今一度自分に言い聞かせなければと感じました。
そして、今一度自分自身と問答した時に、犬彼らの同意と彼らの行動は、はたして一致しているのか?
その行動のみで判断していいのか?という疑問を抱きました。
例えば、
爪を切る際に、人間の手のひらに犬が自分の意思で自分の手を乗せるまで爪は切らない。
いわゆるお手の状態になるわけです。
つまり、
まずお手を正の強化で行動頻度を上げます。
続いて犬の手を握り、脱感作で爪切りへの反応を減らします。
これが繰り返されると、
お手→爪切り
という行動連鎖が成立するわけですが、一連の行動は爪切り後に強化されますから、犬は爪切り前にお手をするわけですし、お手の後には爪切りされるという理解が生まれます。
であれば、爪切りが嫌ならお手はしない。お手をするということは、次に爪切りされることは理解しているわけだから、
お手=爪切りへの同意
という判断ができる。
人「これから爪を切るよ」
犬「わかってるよ」
ふむふむ。なるほど、理論的に紐解いてみたら、確かにこれは犬の【同意】と考えてよさそうだ。
だとしたら、私は一体何に引っ掛かったのだろう?
そうか、
同意=好意
となる危険性に引っ掛かったんだ!
同意とは、これから行う事に対して、受容と拒否の自由選択を与えることだ。
同意を得たとは、この結果犬が受容を選んだということだ。
でもこれは決して好意とイコールになるとは限らないということを知らなければならない。
この犬からは、同意は得られているが、好意が選られているとは限らない。好意の有無が知りたければ、行動連鎖の最後の強化をやめてみることだ。
つまり、爪切り後に与えていたトリーツを与えない。
そうすると、爪切りの受容が犬にとっての好意なら、お手の行動は維持され続けるが、爪切りが嫌子なら、お手の行動は消去される。
つまり、ここでいうところの同意とは、
「5万円ならやるけど1万円しかくれないならやらない」
といってるのと同じだ。
【好子と嫌子を比較して好子が勝っている状態】
なだけであって、彼らが嬉々として爪切りを受け入れているかどうかの証明ではないということだ。
そんなの別にどーでもよくない?と思うかもしれないけど、実はこれは重要なことで、
近年の正の強化絶対主義への警鐘だと思う。
つまり、正の強化により苦痛無く行動を強化し、自由意思の結果、犬が受容を選択するようになったとしても、それはイコール幸福や喜びではないということだ。
これを理解しないということは、正の強化によってコントロールされた、
【犬という生きるぬいぐるみ】
を作り出す危険性と常に隣り合わせだということだ。
あなたなら、社畜生活で幸せを感じられますか?