『犬は今を生きてる』『犬と共に生きる』とは? 【愛犬の問題行動専門ドッグトレーナー・エルフドッグスクール】

『犬は今を生きてる』『犬と共に生きる』とは? 【愛犬の問題行動専門ドッグトレーナー・エルフドッグスクール】

『ピダハン』
アマゾンの少数部族〜ピダハン〜の言語を解析しようとした本が実におもしろい。
一言でいうと、ピダハンは非常に動物的な人間であり、地球を借りて生きる我々の根元的な在り方を示しています。

【犬は今を生きてる】
ドッグトレーナーや獣医は、よくこの言葉を使う。では、どれだけのプロがこの言葉を本当に理解しているだろう?
「今を生きるとはどういうことですか?」と質問すると、返答はせいぜい「犬は後悔しない」とか「犬は見返りを求めない」とか「未来を不安がらない」程度だろう。

プロもよくわかっていなければ、質問する方もわかっていない。それなのに「犬は」なんて言われたら、犬にとっては迷惑な話だ。

ピダハンはまさに【今を生きてる】
ピダハンの言語には交感的言語が無い。つまり「こんにちは」「すみません」「ありがとう」という、対相手との関係を維持する言語が無い。色や数や勘定を表す言葉も、比較級もなければ完了した過去を語る叙述もない。あるのは質問・宣言・命令である。
感謝の気持ちは、返礼品やお手伝いといった行為の形で示される。後悔や罪悪感を表すのも言語ではなく行動だ。

まさに【今を生きてる】のである。

富を誇示するための大きな家も必要ない。ピダハンにとって財産は平等だからだ。
所有する欲がなく、道具は使い捨ての物が多い。作れる技術はあるはずなのに、それを今後も使うかもしれないということには関心がない。

ピダハンは自分のことも仲間のこともピダハンと呼ぶ。これは共同体として集団意識の高さからくる。困れば誰でも必ず同じ村のメンバーを助ける。集団から抜け出せば死ぬことを知っている。

ピダハンも他人の死を悲しむが、その考え方は我々とは根本的に違う。死ぬかもしれないし死なないかもしれない。彼らにとって、死んだらそれはそういうことなのだ。

ピダハンは、自分達の見える範囲、時間の範疇に収まることにのみ言及し、それ以外のことは言及しない。
そして特筆すべきは、ピダハンは自分達の生き方こそが最上と信じている。それ以外の価値観と同化することに関心がない。だからピダハンは他の文化や言語の影響を受けない。
これは非常に珍しいことで、多くの少数部族は、先進的な文化に触れると、それを羨ましく思い、自分達もそちらを選ぼうとする。ピダハンにはそれが無いということだ。


さて、
私達は、私達の経験や予測に照らし合わせて世界を見ています。実際にあるがままの姿で世界を見ることは全くといっていいほどありません。自分達が探しているものが実際は存在していなくても、見つけたつもりになってしまうものです。

【今を生きてる】ということも、そのことに考えを巡らせたことがなくても、知ってるつもりになってしまいます。
犬は神からの使いで、人間に幸せをもたらす最上の存在であるという物語を作ります。
犬について深く知ろうとはせず、必要なのは自分が納得するに足る美しい物語です。

私達は誰しも、自分が育った文化が教えたやり方で世界を見ます。けれどもし、文化に引きずられて私達の視野が制限されるとしたら、文化が世界を歪めてしまうことでしょう。
そんな歪められた世界では、犬は当事者にならないのです。



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